資料を渡したあと、相手から「で、費用に見合うの?」と聞かれることがあります。
これまでの記事では、資料が足りないと決めつける前に相手側で何が起きているかを確認すること、必要なものが複数あるなら次の1か月で何から作るかを選ぶこと(「どれも必要」で決まらない。次の1か月に作るものをどう選ぶか)を書いてきました。前回は、作るものが決まったら相手が社内で使える形になっているかを確かめること(担当者が上司に説明するとき、渡した資料はそのまま使えるか)を書きました。
今回は、そのなかで「追加確認」に回したままだった、費用対効果の資料の話です。
費用対効果を聞かれると、価格は分かっていますし、効果の計算式も書けます。ただ、「御社ではこれだけ効果が出ます」と書いた瞬間に、その数字は誰のものでしょうか。相手の現状も、相手が何を効果と見るかも、まだ聞いていないことがあります。
私は、費用対効果は「効果を答える」ものではなく、効果を考えるために、自社が持っている数字と、相手に確認しないと置けない数字を分けるものだと考えています。分けずに作った試算では、営業の善意の仮定が、いつの間にか会社の約束になります。
「費用に見合うの?」と聞かれた
業務システムを提供するA社の営業、田中さんは、顧客企業の情報システム部門の鈴木さんにサービス概要と機能一覧を渡していました。鈴木さんは、社内の定例で上長に説明を始めています。
その定例のあと、鈴木さんから連絡がありました。
「上長から、費用に見合うのか説明してほしいと言われています」
田中さんの頭に浮かんだのは、先月の制作候補で「追加確認」に回した、費用対効果の資料です。マーケティング担当の佐藤さんと相談したときは、顧客が何を知りたいのかが分からず、点数を付けずに置いていました。今度は、はっきり聞かれています。作る理由はできたように見えます。
田中さんは、資料に入れる数字を並べてみることにしました。
商談で説明した内容と、佐藤さんと整えた価格資料が手元にあります。項目を書き出していけば、一枚にまとまりそうに見えました。
手元で置ける数字と、置けない数字
まず、田中さんが自分で置ける数字です。
価格。初期費用と運用費の総額と、その内訳。契約期間。導入に必要な作業。ここまでは、A社の側で決まっているものです。
次に、効果を考えるときの計算項目です。現在その作業にかかっている時間、担当している人数、人件費。導入後に減らせそうな作業量。導入と運用にかかる費用。項目は書けます。式の形も書けます。
ここで手が止まります。項目は並ぶのに、数字が入りません。
鈴木さんの会社で、いま何に、どれだけの時間と費用と人員がかかっているのか。田中さんは知りません。何時間減るのか、いくら減るのかは、その現状値がなければ出ません。その投資が鈴木さんの会社で妥当とされる水準も、予算枠も、他の案件との優先順位も、上長が何を重視して見るのかも、田中さんの手元にはありません。
つまり、資料に書ける数字は、A社の側にあるものだけです。効果の側の数字は、鈴木さんの会社にあります。
減った時間は、そのまま費用ではない
それでも田中さんは、一つだけ計算できそうな気がしました。作業時間が減るなら、減った時間に人件費を掛ければ、効果の金額になるのではないか。
ここは、立ち止まりたいところです。
田中さんは、鈴木さんの部署で何人がその作業を担当しているのかも、まだ聞いていません。それでも式の形があると、数字を入れたくなります。
作業時間が減っても、その分の現金が会社に戻ってくるわけではありません。減った時間を残業の削減に使うのか、別の業務に振り向けるのか、人員計画に反映するのか。どれを選ぶかで、その時間の意味は変わります。そして、それを決めるのは田中さんではなく、鈴木さんの会社です。
田中さんが時間に人件費を掛けた金額を書いてしまうと、その数字は、鈴木さんの会社がまだ決めていないことを、A社が先に決めた形になります。営業の善意の仮定が、資料に載った瞬間に、会社の約束のように読まれる。避けたいのは、この状態です。
資料で埋める部分と、相手と確認する部分を分ける
だから田中さんは、資料を一気に完成させるのをやめました。A社の側で置ける数字は資料に書く。相手の情報がないと置けない数字は空けておき、鈴木さんに確認する。
鈴木さんへの確認は、こうなります。
「現状、その作業にはどれくらい時間がかかっていますか」
「上長の方は、費用対効果を何で見る想定でしょうか」
答えによって、田中さんが出すものは変わります。
「総額がいくらになるかを知りたい」
価格資料に総額と内訳が載っているなら、それを案内するだけで足ります。新しく作るものはありません。
「今のやり方と比べて何が変わるかを知りたい」
現状値を鈴木さんから聞いたうえで、効果の計算項目を一緒に埋めます。数字を置くのは鈴木さんの会社の側で、田中さんは項目と式の形を用意します。
「上司に予算を説明する材料が欲しい」
上長が何を見て判断するのかを先に確認します。総額なのか、今との変化なのか、時期なのか。それが分かるまで、資料の形は決めません。
三つに共通しているのは、田中さんが先に効果の金額を書かないことです。
鈴木さんに聞いた結果、答えが「上司に予算を説明する材料が欲しい」だったとします。田中さんは、上長が総額を見るのか、今との変化を見るのかを、次の定例の前に鈴木さんから聞く約束をしました。資料は、その答えを聞いてから形にします。
公開調査から分かること、分からないこと
相手の側の使い方を考える理由として、公開調査も参考になります。
IDEATECH×デマジェン総研「日本のBtoB大型購買プロセスに関する実態調査」第2弾(2026年5月、n=330。対象は年間契約金額500万円以上のBtoB商材の導入等に関与した人)では、購買検討層の約6割が「ROI計算シミュレーター」「運用負荷の見積もり情報」を有用と評価しています。ただし、業界特化情報・ROI試算が受注率に与える効果は、有用性評価(買い手の自己申告)までは測られているが、受注率への因果としては検証されていない、とResearch #06「その商談は、なぜ受注にならなかったのか」の付録に記しています。ここから言えるのは、費用だけでなく、導入後の負荷や費用対効果を自社に当てはめて考える材料を求める買い手が一定数いる、というところまでです。
同じレポートの04章では、「情報が足りないのではなく、判断の軸が足りない」と整理しています。費用対効果の資料をもう一本足せば解決する、とは限りません。どの数字で判断すればいいのか分からない状態があるなら、渡すべきは完成した試算ではなく、何を確認すれば判断できるかの項目です。
自社は、費用対効果についてどこまで言う会社か
この話は、田中さん一人の工夫では終わりません。
田中さんが時間に人件費を掛けそうになった場面は、A社としてどこまで言うかが決まっていなかったから起きています。確定している価格や費用は、どこまで資料にするか。顧客固有の試算を、営業担当者が自分で置いてよいのか。試算の前提を、顧客と一緒に決めるのか。既存顧客で実際に確認できている事実と、仮定の数字を、どう区別するのか。
既存顧客で確認できている事実は、その会社の結果であって、これから検討する会社の期待値ではありません。並べて書くと、読む側には区別がつきません。
A社では、佐藤さんと田中さんが経営者と、田中さんが置いてよい数字はどこまでかを決めることにしました。価格と費用と契約条件は、営業が資料に書く。効果の金額は、顧客の現状値と前提を顧客と確認してから、一緒に置く。それまでは、項目だけを渡す。
決めたのは線引きであって、費用対効果を語らないことではありません。どこまでを自社の数字として言うかが決まっていれば、田中さんは、次に聞かれたときに迷わずに済みます。
次に費用を聞かれた商談を、一つだけ思い浮かべる
直近で費用について聞かれた商談を、一つ思い浮かべてみてください。
そして、この問いに答えます。
費用対効果を聞かれたとき、自社だけで出せる数字は何か。相手に確認しないと置けない数字は何か。
自社だけで出せる数字を渡して、残りは相手に聞く。ここまでで足ります。試算を完成させることを、到達点にしなくて構いません。
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